大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和53年(ラ)20号 決定

抗告人

田辺製薬株式会社

右代表者

平林忠雄

右代理人

石川泰三

外一三名

主文

原決定を取消し、これを原審に差戻す。

理由

一抗告の趣旨及び理由は、別紙抗告状及び抗告理由補充書に記載のとおりである。〈別紙略〉

二当裁判所の判断

1  本件記録によれば、本件訴訟は、「原告ないしその被相続人らは、いずれもその疾病の治療の過程において、本件提出命令の申立人である抗告人(被告)田辺製薬らの製造、販売等にかかるキノホルム剤を服用したため、いわゆるスモン(亜急性脊髄神経症)に罹患したものであるが、それは抗告人らがキノホルム剤の製造、販売等を行うに際し、同剤の安全性確認に過失があつたことに起因するものであるから、被告らには損害賠償責任がある。」とするものであり、抗告人らは、原告らのキノホルム剤服用並びにそれとスモンとの因果関係、個々の原告患者らの症度を争い、抗告人は原告ら主張のスモン症状発生当時ないしその後原告らの治療に当つた医師が作成した診療録を、「原告ら又は原告らの被相続人らの症状の経過、原告ら又は原告らの被相続人らに対するキノホルム剤投与の有無、キノホルム剤投与と腹部症状、神経症状との因果関係の存否、合併症の有無と現神経症状に与える影響の程度。」を立証事項として、民事訴訟法三一二条三号前段により、所持する医院らに対して提出を求めているものであることが明らかである。

2  右民事訴訟法三一二条三号前段は、「文書カ挙証者ノ利益ノ為ニ作成セラレ」と規定しているが、右規定の「挙証者」とは証拠の申出人であるから文書提出命令の申立人をいい、「利益」は同法四七条、六二条の「利益」と同様に、単なる事実上のものではなく法律上の利益をいい、「為」の字句は「目的」の意味で用いられているから、右規定は「文書が文書提出命令申立人の法律上の利益を目的として作成せられ」と読替えることができる。したがつて、(1)右文書は文書提出命令申立人の法律上の利益を明らかにするものであること、(2)その文書が右文書提出命令申立人の法律上の利益を明らかにする目的で作成されたことが要件となる。

ところで民事訴訟は私人間の権利関係に関する紛争を解決する国家の裁判制度であり、裁判の基礎となる当事者間に争いある事実関係を認定するについては証拠によるから、当事者は証拠として人証書証を提出せねばならないが、これについて相手方又は第三者の協力を必要とするので、民事訴訟法は右協力を同法上の義務として定め、時には制裁、刑罰をもつて右義務の履行を強制しており、文書提出命令による文書所持者に対する提出義務も、右義務の一環として設けられたものである。そして裁判において真実発見を図ることは右制度の必須の条件であるから、文書提出命令における前記(1)(2)の要件もその趣旨にしたがい解釈することが要請される。したがつて前記法律上の利益を明らかにする文書とは法律上の利益を直接に明らかにするものに止まらず間接に明らかにするもので足り、また作成の目的は作成者の主観的意図に止まらず、文書の性質から客観的に認められれば足りるものと解するのが相当である。

3  診療録は医師法二四条により診療した医師に対し作成及び保存を義務づけている文書である。医師の診療行為は国民の生命身体に直接重大なかかわりを持つものであるから、国家としては医師の診療行為を適正に行わしめるため、医師法により国家試験合格と厚生大臣の免許を医師の開業の要件とするとともに、その業務を規整し、その規整の一方法として具体的な診療行為を記載した診療録の作成を義務づけている。同法施行規則二三条は診療録の記載事項として、「一 診察を受けた者の住所、氏名、性別及び年令、二 病名及び主要症状、三 治療方法(処方及び処置)、四 診療の年月日」を定めており、「処方」とは医師が病気に応じて指示する薬の配合法をいうものである。

ところで医師の具体的な診療行為が訴訟の対象となつている場合、診療した医師又は診療を受けた患者にとつて右診療行為を記載した診療録は同人らの法律上の利益を明らかにする文書であり、また右診療行為により投薬された薬の毒性が訴訟の対象となつている場合、投薬された患者又は投薬された薬の製造販売業者、右薬の製造等を許可した国にとつて右処方の記載を含む診療録が同人らの法律上の利益を明らかにする文書であることはいうまでもない。

そこで右診療録が右患者、又は薬の製造販売業者、国の法律上の利益を目的として作成されたものであるかについて検討する。診療録は医師によつて作成されているが、前記のとおり医師の診療行為を適正ならしめるため公法上作成を義務づけられているものであるから、作成の目的は作成者の主観的意図を離れ、診療行為の記載自体を目的としているもので右診療行為の主体客体又はこれに準ずる深い関係を持つ人々の法律上の利益を明らかにすることを目的として作成されたものということができる。したがつて診療録は診療した医師のみならず診療を受けた患者の法律上の利益を明らかにすることを目的として作成された文書と解するのが相当である。また診療行為において投薬は欠くべからざるものであり、前記のとおり処方は診療録の記載事項とされているから、投薬された患者及び投薬された薬の製造販売業者、薬の製造等を許可した国の法律上の利益を明らかにすることを目的として作成された文書と解するのが相当である。

4  そうすれば、抗告人の申立に係る診療録(看護記録を含む)は抗告人にとつて民事訴訟法三一二条三号前段の文書に当ると言うことができる。

ところで、患者の病名、症状などは通常、患者個人の秘密に属するものとされているから、これを記載した診療録を裁判所に提出することは医師の守秘義務(民事訴訟法二八一条刑法一三四条に示されている)に触れることになる。しかし本件においては患者である原告らが、損害賠償請求権の発生を基礎づける主張事実の一部として自らが自己の秘密である病名、症状を開示して被告らに損害賠償を求めているのであるから、守秘義務を理由に医師が本件各診療録の提出を拒むことはできない。

5  以上のとおりであるから、本件において抗告人が提出を求めている文書が民事訴訟法三一二条三号前段の文書に当らないとして、その申立を却下した原決定は失当であるから取消すべきである。しかし文書提出命令の申立は書証の申出であつて、申立にかかる文書の取調の要否は、原裁判所が事実の内容、事件の具体的進行状況に則して判断すべき事柄であるから、文書が民事訴訟法三一二条所定の文書に該当しても、右の点についての原裁判所の判断が残されているのみならず、文書の存在、所持等につき当該第三者の審尋を必要とし、提出を求める文書を全部につき認めるか、一部をもつて足るか等具体的に判断を加えねばならず、これら手続は原審において行うのが適当である。

よつて民訴法四一四条、三八九条により主文のとおり決定する。

(村瀬泰三 林義雄 高田政彦)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例